さあ、1時間ほど車をとばすと、
小川町の百里基地に近づきました。
時間もあることだし、基地の周りを一周してみると、、、
門らしきところに、軍人さんがいっぱい。。。
パトカーを見ると無意識にドキッっとする私なので、、、
すっごいジープとか止まっているのを観て、
不審者扱いされたら、、、と足早に通り過ぎました。
航空祭以外に見学できるようなことできるのかなぁ~。
残念ですが、戦闘機は飛んでませんでした。(´・ω・`)
そう何度もスクランブルにあうことはないでしょうからね。
でも現地からだったら、すごく大きく見えるかなーと期待してたんですが、、、
また次回期待します。
そして、玉造に向かったんですが、、、油断してました。。。
地図らしき情報モノを二つくらいしかもって行かなかったんです。
その地図も住所無しでかなり大雑把な地図。。。
近くへ行かないとわからない代物でした。
行けばなんとかなるかなーと思ってたんですが、
思ったよりも情報が少ない・・・。
旗は見かけたんですが、大々的な宣伝などが銘打ってないので、
車だとホントわからない・・・。
仕方ないので、かなり遠く離れますが、
道の駅「たまつくり」を発見。行ってみることにしました。
ここは霞ヶ浦に隣接しているので、水の科学館がありました。
そして、休憩所に入ると、、、
街の観光案内が少なッ!!
パンフはなく、タッチパネル式のネット環境がひとつ。
市内のHPが観る事ができました。(玉造町は合併して行方市になりました。)
でもね、、、
その観光名所に、芹澤さん情報が皆無・・・。
幕府うんちゃら情報はあるんですが、芹澤さんのセの字もなかった。。。
愕然としましたが、とりあえずお腹すいたので、外へ。
道の向こう側に、レストランがあったので向かうと、
なんだか、にぎわっています。
なんか、見覚えのある光景が・・・。
野菜の直売会やってました(^-^)
そう、農協デビューした私にとって、至福の時間でした。
だって、、、さすが茨城、野菜、めちゃくちゃ安いっす。
チンゲン菜とか3つ入って60円ですよっ。
そう、、、皆様の予想通り、、、
買っちゃいました、野菜・・・
ほうれん草60円、大根120円、泥付人参100円、さつまいも100円。
白いサツマイモでした。なんか種類違うのかな?
まだ調理してないので、わかりません。
それと、もうひとつ、、、お花もいくつか売ってました。
あまり好きじゃない花だったので、スルーしたんですが、、、
なんと、、、桃の花が売ってるじゃありませんかッ!!
買ってしまいました。
現在、この桃の花の飾り方をどうしようか検討中です。
そして、一緒に買った干し芋を片手にかじりながら、再び玉造町へ。
せっかくの旅行なのに干し芋かじってる私って・・・。
そうそう、地図を片手にとりあえずこの辺というあたりをつけ、
ナビ設定し、再び向かいました。
そして、この辺かな~?って所に車を止めて、テクテク歩くと、、、
すぐ近くに、この看板を発見!!
あぁ~、芹澤さぁーん。ついに見つけたよぉー(T▽T)
ちょっとヘタれてきたときだったので、嬉しさが増大。
そして看板につられるように歩いていきました。
ちょっと進むと、緩やかな坂になっており、右側が畑、左が古い家並みって所に、
芹澤さんの看板を発見っ!!
写真をパチリと撮っていると、先で箒掃除をしていたおばちゃんが、、
「おはようございます~」
何年か前だったら、すっごいびっくりして逃げ出してしまうかもしれませんが、
さすがに最近旅なれたもので、普通に挨拶しちゃいました。
で、偕楽園の帰りに寄ったと話したら、おばちゃんが色々説明してくれました。
ちょうど向かい側が芹澤さんの生家とのこと。
大河放映中は、ファンが結構訪れたり、展示会もあったとか、
この先に城跡があるなど、お話してくれました。
あれですよね、田舎の人たちのあったかさっていいなぁ~。
お礼を行って先に進むことにしました。
そして突き当たり左へ向かうと城跡の碑を発見!!
芹澤家が少しだけ垣間見れました。
あまり知られていない分、とても貴重な体験です。
そして先ほどの突き当りを右に行くと、林の中に小さい神社発見。
裏手からになりましたが、この辺は昔から変わらない感じです。
もしかすると、この辺を芹澤さんが駆け抜けていたかもしれませんね。
京都を旅したときも感じましたが、200年という時間はとても近い存在ですね。
その神社の階段を降りていくと、先ほどの芹澤家の看板へ通じる道へでました。
そこにちょうど案内図がありました。
でも、この案内図はネットで持っていたので、あまり役に立たず。。。
そしてその道を歩いていくと、民家のブロック塀に平間さんの案内が。
あぁ~、平間さん。。。うれしいねぇ。でも何故ここに?
まあはやる気持ちを抑え、路注した車が気になったので足早に車に戻り、
駐車場があるという芹澤家の墓がある寺へと向かいました。
寺へ着くと、再び案内図が。そしてその左に寺の門がありました。
誠の旗が見えたので、心が躍ってました。
入るとすぐ左側に碑を発見。そう、平間さんについてのことでした。
先ほどの案内板より詳しく書かれていました。
平間さん、生き延びて故郷に戻ったのですね。。。
思わず、剛州さんの顔が浮かびました。
剛州さんはまだ健在だっつーの。
でも、なんだか嬉しかったですね。
大河を観たからこういう感じを受けるのかもしれませんが、
よかったなぁって思いました。
史実は背景が違うのかもしれません。
でも、私は三谷さんが書いてくれた新選組がとても好きなので、
逃げてくれた平間さん、ひっそりと生きた平間さん、とても嬉しいです。
思わず目がうるっとした時間でした。
本道の左の道をまっすぐ行くと墓地にいけます。
二手に分かれる道があり、右側(上側)を行くと階段が見えます。
数多くある墓の中で見つけるのが困難だなーって思っていた中、
あの階段、、、怪しい・・・(ー_ー;)
と思い、上っていきました。
・・・ドンピシャでした。芹澤家の墓です。
門を開けて、狭い場所を一通り見学。
正直、芹澤家についてあまり知らないので、人物がわかりません。
でも後々調べたいと思っています。
あ、写真撮る前に一応拝んできました。
写真撮ります、ブログに載せますがごめんなさいって。
だいじょぶかな・・・?
ま、そんな感じで、玉造調査は終了にしました。
帰り道、資料館の場所はJAにだったので、今はやってないっぽいです。
たぶん大河放映中だけ開催していたのだと思われます。
さて、、、まだ11時半・・・。
どうしよっかなーと思ってたんですが、結構疲労がたまっていたので、、、
温泉行きたい~
と思い、ナビで温泉候補地を検索。
となると、一番近いところは水戸、その次は筑波・・・、その次は鹿島・・・。
事前調査で気づいたのですが茨城ってあまり温泉がないんですよね。
また水戸へ戻るのは嫌だなーって思ってたので、、、
筑波
にしました。うーん、、、筑波はおもいっきり知ってるんですよねぇ。
祖母の家が筑波なんで。。。
(正しくは筑波の北の筑西市なのですが、筑西でも最南なので、筑波に近い)
でも、筑波山なんか小学生以来行ってないし、
車で一度行ってみたかったので、、、急遽行くことにしました。
そして、時間ありそうだったので、祖母の所へ寄っていこうと決断。
車を走らせ、筑波へ向かいましたっ。
其の肆へつづく。